東京地方裁判所 昭和50年(ワ)4704号 判決 1979年5月14日
原告
福寿企業株式会社
右代表者
奥村嘉寿之
原告
日本鰹鮪漁船保険組合
右代表者
増田正一
右原告ら訴訟代理人
山下豊二
外二名
被告
昭和油槽船株式会社
右代表者
筒井佐太郎
右訴訟代理人
田川俊一
ほか三名
被告
深田サルベージ株式会社
右代表者
藤堂幾蔵
右訴訟代理人
市川渡
主文
一 被告らは各自原告福寿企業株式会社に対し一八七四万九六一八円およびうち一六七四万四五六八円に対する昭和四九年六月一五日以降、うち二五万円に対する昭和五〇年六月五日以降各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告らは各自原告日本鰹鮪漁船保険組合に対し一億八五三四万三七三五円およびうち一億七五三四万三七三五円に対する昭和四九年六月一五日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告らのその余の請求を棄却する。
四 訴訟費用中原告福寿企業株式会社と被告らとの間に生じた分はこれを三分し、その二を同原告、その一を被告らの各負担とし、原告鰹鮪漁船保険組合と被告らとの間に生じた分はこれを一〇分し、その一を同原告、その九を被告らの各負担とする。
五 この判決の第一項は原告福寿企業株式会社において被告らに対しそれぞれ四〇〇万円の担保を供するときは仮に執行することができる。
六 この判決の第二項は原告鰹鮪漁船保険組合において被告らに対しそれぞれ四〇〇〇万円の担保を供するときは仮に執行することができる。
事実《省略》
理由
一本件事故
1 昭徳丸と福寿丸とが昭和四九年五月二二日午前一時四〇分静岡県御前崎燈台から約126度6.5海里の海上で衝突したことは当事者間に争いがない。
2 請求原因一の2の事実(本件事故に至るまでの昭徳丸の状況)は、被告昭和油槽船の関係では当事者間に争いがなく、<証拠>によると、次の事実を認めることができ、これを左右する証拠はない。
昭徳丸は、昭和四九年五月二一日名古屋を発し横浜に向かう航行の途中、午後八時伊勢湾第一号燈浮標を左舷側近距離に通過したとき、針路を八九度に定め、機関を約一一ノツトの全速力にかけて進行した。翌二二日午前零時佐野航海士は、掛塚燈台から約138度9.4海里のところで横山甲板手とともに昇橋して航海当直に立つた。午前一時三〇分霧となり視野が狭められたが、同船はそのまま前記速力で進行した。佐野航海士は、そのころレーダースコープ上右舷船首約80度0.5海里にあつた同航船にのみ注意を払い、同約40度1.5海里にあつたおばこ丸および福寿丸の映像に対する看視を十分にすることなく続航し、右両船がその方位がほとんど変わらないまま自船の前路に接近していることに気づかなかつた。午前一時三五分ころ霧が濃くなり視界が更に悪くなつたが船長に報告することなく、速力を約六ノツトに減じ、横山甲板手を手動操舵につかせ、霧中信号を開始しないまま肉眼とレーダーにより同航路の見張りにあたり、午前一時三八分ころ、ようやく長音一回の霧中信号を行ない、続航した。午前一時三九分ころ佐野航海士は、右舷船首約一〇度近距離のところに、おばこ丸の上下に連掲した白燈三個をはじめて認め、直ちに機関を停止し、おばこ丸が昭徳丸の前路を左方へかわる気配があつたので右舵一ぱいをとるとともに、汽笛短音一回を吹鳴した。午前一時四〇分少し前おばこ丸を左方へかわし終えて前方を見たところ、佐野航海士は右舷船首近距離のところに紅燈を表示しておばこ丸に引航されている福寿丸をはじめて認めたが、同船をもかわせると思い、そのまま回頭中、間もなく午前一時四〇分頃、前記衝突場所で、ほぼ一三四度を向いた昭徳丸の船首が福寿丸の左舷側外板に前方から約七〇度の角度で衝突した。
3 本件事故前後のおばこ丸、福寿丸の状況等
<証拠>によると、次の事実を認めることができ、これを左右する証拠はない。
(一) 福寿丸(長さ約四七メートル)は、インドネシア共和国ジヤワ島沖で操業の後、日本への帰国の途中、昭和四九年三月二八日同共和国バリ島南岸付近に乗り揚げ、二重底の一部に浸水し、舵と推進器を損傷したため操舵及び推進機能を失い自力航行が不能となつた(被告深田サルベージの関係では、福寿丸が原告ら主張の日に同主張の場所で乗り揚げ、同主張の損傷があり、自力航行不能となつたことは、当事者間に争いがない。)。
(二) そこで、原告福寿企業と遭難船舶の救助等を業とする被告深田サルベージは、同年四月一九日次の各契約を締結した(被告深田サルベージの関係で、契約の内容は別として、同被告が原告福寿企業と原告ら主張の日に福寿丸の海難救助に関する契約を締結したことは争いがない。)。
(1) 救助契約
同被告が同原告から、福寿丸の救助を、代金三三〇〇万円、不成功無報酬、引渡場所インドネシア共和国バリ島内ベノア港と定めて請け負う契約
(2) 曳航契約
同被告が同原告に対し、福寿丸の曳船を右ベノア港から静岡県清水港まで、代金一七〇〇万円、不成功無報酬と定めて行なう契約
(三) かくて、福寿丸は、四月二四日被告深田サルベージの日光丸の救助により離礁しベノア港に曳航された。入港後原告福寿企業と被告深田サルベージは、清水港までの曳航中福寿丸の管理はすべて同被告の責任において行なう旨を合意し、同被告はベノア港において同船の船員全員が下船することを認めた。そして、同被告は同船を無人状態のまま曳航することとし、同原告は、同被告の指示により、操舵室、機関室を除く船内各開口部を内部から固縛し、外部から板を打付けるなどして閉鎖し、右両室は施錠のみをして鍵を同被告側に交付し、甲板上の移動しやすい物品をホールド内に保管し、フオグホーン、サーチライトその他各種機器の操作方法の引継ぎを行なつた後船員全員を下船させた。
(四) おばこ丸は、曳船で、シンガポールから福寿丸を引航すべく、自船後部甲板のウインチからプライドルチエイン12.5メートルの先端の三ツ目環につないだワイヤーロープを延べ出し、これを福寿丸の船首にとめ、無人の福寿丸の航海燈は蓄電池を電源とし、サンスイツチにより日出没時自動点滅するようにし、その甲板上の全開口部の閉鎖を確認したうえ、福寿丸を船尾に引き、同年五月八日シンガポールを発し、清水港に向かつた。酒井船長は引索の長さを約三七〇メートルとし、全速力約九ノツトの引航速力をもつて途中航行したが、同月二一日午前八時二五分潮岬燈台から一三〇度九海里に達したとき、御前崎の沖合に向け針路を六〇度に定めて進行し、やがて航行船舶がふくそうしはじめたために危険を避けるため、一たん速力を減じ引索の長さを約二〇〇メートルに縮め、午後三時五五分再び全速力に復し、午後一一時二〇分針路を六五度に転じて進行した。同月二二日午前零時、酒井船長にかわつて寺本航海士が当直についた。折から小雨模様で視界があまり良くないので、寺本航海士はレーダーを発動し、午前一時五分入港時刻を調整するため、半速力的六ノツトに減じ、午前一時二五分御前崎燈台から的140度6.7海里のところで駿河湾に向けて針路を二六度に転じたが、寺本航海士はレーダーの看視が不十分で、そのころ、おばこ丸の左舷正横から少し前的2.3海里に昭徳丸がおばこ丸の前路を右方に横切る態勢で進行しており、その後その方位がほとんど変わらないまま互いに接近していることに全く気づかなかつた。午前一時三六分ころ、急に濃い霧が流れるように来襲して視界が更に狭められたが、寺本航海士はすぐ晴れるものと思い、霧となつたことを船長に報告し、霧中信号を始め、さらに行足を減じて適度の速力とする等の措置をとらず、また、昭徳丸が接近していることに依然として気づかないまま進行中、一時三九分少し過ぎ、見張員の「船だ」との叫び声で、左舷側ほぼ正横約二〇〇メートルに迫つた昭徳丸の白、白、紅、緑四燈に気づき、急ぎ同船に向け作業燈を三、四回点滅し、自動操舵のまま原針路を保つているうちに、昭徳丸とおばこ丸とは無事にかわしたが、間もなく福寿丸がほぼ原針路に向かつて前記のとおり衝突し、その衝突が後部甲板上のウインチが激しく震動したので、寺本航海士は福寿丸が昭徳丸と衝突したことを知り、リモコンにより機関を停止して、酒井船長に報告した。報告を受けた酒井船長は急いで昇橋して引索を巻き始め、約一五〇メートルに縮めたところで福寿丸が左舷に大きく傾斜しているのが見えたので、沈没の危険を感じ、午前二時ころ引索を切断して様子を見ていたところ、福寿丸は午前二時二〇分ころ転覆した。
(五) 衝突の結果、福寿丸は左舷の衝突個所の外板に高さ約五メートル、幅的3.2メートルの大破孔を生じ、前記のとおり転覆したが、沈没を免れ、一たん御前崎北方の浅所に引きつけられたのち、台船に載せられて横須賀に運ばれた(ただし、被告深田サルベージの関係で、本件衝突の結果、福寿丸が衝突個所に原告ら主張の破孔を生じ、衝突後間もなく転覆したことは、当事者間に争いがない。)。
二責任原因
1 以上の事実によると、本件衝突事故は、次の過失が競合して発生したと認められる。
(一) 昭徳丸佐野航海士についてみると、同船航行中、霧のため視界が制限されたのに、旧海上衝突予防法一五条三項一号および同法一六条の各規定に違反し、正規の霧中信号を行なわずに約六ラツトという過大な速力で進行し、かつ、レーダーによる見張り不十分のため接近してくるおばこ丸ないし福寿丸に気づかなかつた点にその職務上の過失がある。
(二) また、おばこ丸寺本航海士についてみると、同船が福寿丸を引いて航行中、霧のため視界が制限されたのに、旧海上衝突予防法一五条三項五号および同法一六条の各規定に違反し、正規の霧中信号を行なわずに約六ノツトという過大な速力で進行し、かつ、レーダーによる見張り不十分のため著しく接近するまで昭徳丸に気づかなかつた点にその職務上の過失がある。
(三) さらにおばこ丸による本件事故当時の福寿丸曳航方法をみると、福寿丸上にはサンスイツチ付き航海燈を装置しただけであつて、霧により視界制限ある場合にそなえて約二〇〇メートル後方に曳航される福寿丸の所在を他船に知らせるためサーチライトによる照射等の対策措置を何ら装備せず、かつ、自船が昭徳丸をかわした後、そのままでは福寿丸が昭徳丸に衝突する状態にあるのに緊急信号を発し、あるいは福寿丸を照射するなどして、福寿丸の所在を昭徳丸に対して知らせる措置を全くしていなかつたことが明らかである。この措置は、運送品たる福寿丸の管理、航行の安全確保上必要であり、被告深田サルベージ主張の曳船一体の原則とは直接かかわりのないことである。
2 したがつて、被告昭和油槽船は昭徳丸の船舶所有者として、被告深田サルベージはおばこ丸の船舶所有者として、原告福寿企業に対して、改正前の商法六九〇条一項の規定により不法行為に基づく損害を賠償する責任がある。
三被告深田サルベージの免責の抗弁について
1 被告深田サルベージは国際海上物品運送法三条二項による免責を主張するが、原告らの本訴請求は改正前の商法六九〇条一項による不法行為責任の追及であるから、運送契約の債務不履行責任の免責に関する国際海上物品運送法三条二項を本件に適用することはできない。
のみならず前記二の(三)に述べた運送人たる被告深田サルベージ側の過失は運送品ともいうべき福寿丸の運送、保管につき注意を怠つたことによるものということができる。したがつて、仮に不法行為責任追及につき同被告主張のように国際海上物品運送法三条二項の適用を認めたとしても、右過失は商業上の過失であり、本件事故はこれにも起因しているのであるから、本件事故につき同被告に対し右法条による免責を認めることはできない。
2 免責の暗黙の合意ないし事実たる慣習の存否
本件曳航契約に不成功無報酬の約定の存したことは前記認定のとおりである。しかしながら、これをもつて免責の暗黙の合意があつたとして被告深田サルベージの主張するところは、にわかに首肯し難く、また、同被告の主張するような事実たる慣習を認めるべき証拠はない。
したがつて、同被告の右抗弁もまた採用できない。
四被告昭和油槽船の過失相殺の主張について
1 既に認定したところによれば、福寿丸は舵、推進器の損傷により自力航行が不能となり、いわば運送品として被告深田サルベージの管理下におかれたのであるから、同被告がその管理責任の一環として同船の曳航につき航行の安全を確保すべき義務を負うに至つたものと解すべきである。
被告昭和油槽船は船舶職員法の諸規定を列拳して原告福寿企業が同船に船員を乗組ませる義務を怠つた旨主張する。しかし、同被告の指摘する船舶職員法の諸規定に原告福寿企業が違反したとしても、自力航行能力を失つた福寿丸の管理を遭難船舶の救助を業とする船主に委ねたという本件の如き情況下にあつては、それは単に行政取締法規に違反したというにとどまり、これをもつて同原告において本件事故の発生に加功した過失があるとまで解すべきものではない。蓋し、前記認定のように福寿丸は舵および推進器の損傷により、操舵および推進機能を失つていたのであるから、自力航行能力を有する船舶ならば容易に回避し得る衝突、座礁等も回避し得ないことや曳索の切断、天候の急変に対しても迅速適切な対処、曳船への移乗等の措置をとることが困難であることなどが予想され、特に長途の航海にあつては、右のような不測の事態の発生も稀有とはいいがたいところであるから、かかる危険をおかしてまで、いかに航行の安全確保のためとはいえ、自力航行能力のない船舶の船主に船員を乗組ませる義務を課するのは相当でなく、かかる場合には専門技術を有する曳船側において前記二に認定した措置などを講ずることにより航行の安全確保の義務を尽すべきものと解すべきである。したがつて、福寿丸を無人状態としたことが原告福寿企業の過失であるとの主張を前提とする被告昭和油槽船の過失相殺の主張は採用できない。
2 なお、<証拠>によれば、被告昭和油槽船の委嘱により本件事故による福寿丸の損傷状態、修繕費、衝突後の転覆原因等につき意見を求められた日本海事検定協会横浜支部は、衝突の部位、破孔の大きさ・深度、船内の損傷状態を調査のうえ昭和五〇年九月一九日(イ)船楼、甲板室等は浮力タンクの役目を果すので各室についての扉、倉口等の開口が確実に閉鎖されていれば、予備浮力があるため、衝突による浸水は左舷後部凍結室等に局限され、船は左舷側に約二七度傾斜したまま浮上していたと考えられる。(ロ)左舷後部凍結室の後端横隔壁の破孔からの浸水以外にエンジンルーム内への浸水原因はなかつた。したがつて、冷凍機室に浸透した極少量の海水がエンジンルームに満水状態に浸水するまでには約七五時間かかる。したがつて、衝突後早い時期に必要な防水、排水措置をしたならば、エンジンルーム内への浸水はかなり効果的に防止できたと考えられる旨の鑑定をしたことが認められる。
しかし、右(イ)についていえば、福寿丸は曳航中被告深田サルベージの管理下におかれていたのであるから、開口部を確実に閉鎖すべき義務は同被告が負うべきものである。のみならず、鑑定に当つた証人谷水清も果たして開口部閉鎖が不完全であつたか否かは不明である旨証言しているし、開口部の閉鎖が完全であつたとしても衝突により受ける船舶全体の衝撃、流入する水圧等による閉鎖個所の破損も考え得るところであるから、開口部閉鎖の不完全があつたとしても、これが福寿丸転覆の原因となつたとの右意見は直ちに採用しがたいものがある。
次に(ロ)は、福寿丸に船員を乗船させることを前提にしての意見であるが、原告福寿企業に右のような義務のないことは既に述べたとおりであるから、右意見も採用し得ない。
五保険委付
<証拠>によれば、原告らが福寿丸の船体属具につき保険価額および保険金額を二億二三〇〇万円とするなど請求原因三1記載の内容の保険契約を締結し、原告福寿企業が本件事故の結果福寿丸が経済的全損状態になつたとして昭和四九年六月一五日原告保険組合に対し保険委付をなしたこと、原告保険組合は保険金のうち一億五〇四三万一五〇六円を同年八月三日原告福寿企業の指図によりその質権者である農林漁業金融公庫に対し支払い、うち五五五六万八四九四円を同月二日同原告に対し支払つたこと、原告福寿企業は原告保険組合を通じて日本海事検定協会横浜支部に対し本件事故当時における福寿丸の船体属具の価格(以下船価という)等につき鑑定を求めたところ、同協会は福寿丸の前記バリ島座礁事故がなかつたとした場合の本件事故直前の船価が二億五三八〇万円であり、バリ島座礁事故による損傷の修繕を同船の建造者である三保造船所に施行させた場合の費用見積額が三一八五万六二六五円である旨の意見を示したこと、原告保険組合は保険委付を受けた後同年六月一七日損傷した福寿丸の船骸を浜田年男に対し一五八〇万円で売却したことが認められる。
ところで<証拠>によれば、日本海事協会横浜支部は右鑑定にあたり、福寿丸の建造時(契約時昭和四八年四月二六日、引渡時同年一一月一〇日)と事故時(昭和四九年五月二二日)が比較的近接しているがその間にいわゆるオイルシヨツクによる物価および労務費の急上昇がみられたことから、契約船価にこれらに上昇率を乗じて適正な価格修正を行ない、更に船令等による償却を行なつたうえでその船価を算定しているのであり、その他同号証によりうかがえる鑑定経過に照らすと同協会が示した前記船価二億五三八〇万円は適正であると判断することができ、他にこれを著しく不合理であるものと認むべき資料もない。そして、前掲丙第一号証によれば同協会が福寿丸の本件事故による損傷を復旧するためには総額二億三五九三万円が見込まれる旨鑑定していること、前記のように福寿丸の船骸が一五八〇万円でしか売却し得なかつたことその他前記一に認定した本件事故時およびその後の同船の状態に照らすと同船は商法八三三条三号に該当するものということができるから(なお、商法七一八条一項二号参照)、原告福寿企業による前記保険委付はその要件を具備した有効なものと認めることができる。<以下、省略>
(松野嘉貞 白木勇 小佐田潔)
別紙船舶目録(一)〜(三)<省略>